-2008年ノーベル賞、日本人4人が受賞に思う-
米国のサブプライム問題、リーマンブラザーズの倒産、金融不安の広がり、そして日本国内でも株価の急落、円の高騰と、すわ経済恐慌に発展かと不安が広がる中、10月6日、久しぶりに明るいニュースが飛び込んできました。日本人物理学者、南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏の3氏が2008年ノーベル物理学賞を受賞したとのニュースです。続いて7日、今度は、下村脩博士がノーベル化学賞を受賞したというニュース。一度に4人ものノーベル賞受賞者の誕生に、日本中が沸きたちました。
特に、下村博士は、長崎医科大付属薬学専門部、現長崎大薬学部の出身のボストン大学名誉教授。薬学出身者のノーベル賞受賞に興奮しました。下村博士は、長崎大卒業後、名古屋大学へ、そして、米国プリンストン大学に留学、そのまま同大の研究員になられたそうです。
40年前、そのプリンストン大研究員時代に、海中で緑色に光るオワンクラゲの発光のメカニズムの解明に取り組み、17年後、ついにオワンクラゲの発光物質GFP(緑色蛍光タンパク質)を発見されたのだそうです。シアトルから240kmほどのところにあるサンファン島のフライデーハーバーという漁村の海に、毎年夏になるとオワンクラゲが大量に漂い、光を放っていたことから、研究のため、家族総出でフライデーハーバーを訪れ、クラゲを捕まえたそうです。ひと夏で5万匹以上を採集、その総数17年で85万匹に達したというのですから大変なものです。その近隣の海からは、一時クラゲがいなくなったと言われたそうですが、真偽のほどは知りません。
そうした地道な研究活動が実ってGFPを発見、その後1990年代になって、病気の原因となるタンパク質など、遺伝子にGFPを融合させた蛍光マーカーが作られ、細胞生物学や分子生物学などの研究の発展、そしてがん発生のメカニズムや診断など医療分野に大きく貢献することとなりました。
ところで、今回の3人の日本人物理学者のノーベル賞受賞について、欧米では1人のアメリカ人学者と2人の日本人学者が受賞した、と報じたそうです。米国居住の南部陽一郎博士を米国人として報道したわけです。南部博士はシカゴ大学名誉教授、1950年代に米国プリンストン高等研究所に留学、そのまま在米し、1970年に米国籍を取ったからです。南部博士は、「毎日、論文が新聞のように手に入る」という研究環境にひかれ、米国籍を取ったのだそうです。
今回の4人の研究者のノーベル賞受賞は、日本人として誠に誇り高いことですが、しかし、手放して喜んでばかりいるわけにはゆきません。南部先生しかり、そして下村先生、1973年に受賞された江崎玲於奈博士、1987年に受賞された利根川進博士もそうですが、これらの優れた日本人研究者は、日本の研究環境に飽き足らず、海外に研究活動の場を求め、大きな成果を上げられました。こうした日本の頭脳の海外流出は、日本における科学研究環境の貧しさの証左ではないかと思われてなりません。
参議院議員の現役時代、私は、厚生労働委員会における質問において、幾度か科学技術政策の推進を取り上げました。2006年第164回通常国会の参院予算委員会の代表質問では、当時の小泉総理大臣に、「政府は科学技術基本法を制定し、毎年、科学技術基本計画を作成しているが、その中で、今後50年間で30名のノーベル賞受賞者を目指す、と方針を打ち出している。科学技術研究の推進策を強化すべきでは。」と質問しました。小泉総理からは、「ノーベル賞受賞は、オリンピックの金メダルと同じように、やればできるという国民の精神的活力を高める、意欲を高めるという意味でも重要だ。科学技術の振興は経済発展、日本全体の力を高めるためにも不可欠だ。」という回答をいただきました。
わが国の科学技術研究費をみると、欧米に比べ国家予算の占める比率が低く、民間依存率が高くなっています。私は、国会質問でもこのことを指摘し、科学技術研究創造立国を掲げる政府として、もっと科学研究に対する国家予算を増やし、支援を強めるよう求めました。今回の受賞は2002年の小柴博士、田中博士以来6年ぶりの受賞となりました。今回の4人のノーベル賞受賞者輩出を期に、政府が改めて科学技術振興政策のより一層の強化を図ってほしいものです。