-「はやぶさ」、7年ぶりに感動の帰還-
「エンジンの音、轟々と、隼は行く雲の上・・・」と、カラオケでしばしば大声で歌われている軍歌があります。「加藤隼戦闘隊」という戦時中の軍歌です。“隼”、“はやぶさ”は、体長40~50cm程度ですが、その名の通り、空を飛ぶ速度が速く、時速200km、最高速度は新幹線なみの300kmという猛スピードで降下し、獲物を捕らえるそうです。そこから、戦闘機の愛称とされたのでしょう。
さて、今年6月、その“はやぶさ”が、日本中の人々の感動を集めました。もっとも、はやぶさといっても金属製のはやぶさ、小惑星探査機です。
今から7年前の2003年5月、小惑星探査機「はやぶさ」は、「イトカワ」という名前の小惑星探査のため打ち上げられました。小惑星イトカワは、1998年に、米国マサチューセッツ工科大学の研究者によって発見されたばかりの直径330メートルの楕円で、アポロ小惑星群に属する小さな惑星です。その軌道は、地球や火星と交差しており、地球に近づく可能性がある「地球接近小惑星(NEO)」と呼ばれているそうです。一説によれば、100万年に1回ぐらいの確率で地球に衝突する可能性もあるとか。もし地球に衝突したら、かって、2億年の間この地球の主となっていた恐竜が突如消え去ったように人類も、と心配する人もいるとか。そんな心配は、まず無用ですが。
「はやぶさ」は、2003年に打ち上げられた後、2005年、イトカワに見事に到達しました。そして、イトカワの地表の砂などのサンプル採集を試みた後、地球への60億キロの帰り道を、制御不能など度々の機体トラブルを乗り越えて、宇宙へと旅立ってから7年目の今年6月13日に地球への奇跡の帰還を果たしました。
暗い夜空を流星のように、光の尾を引きながら飛行を続け、やがて、本体は空気との摩擦熱で燃え尽き、大空に消えて行きました。 「はやぶさ」が消滅する直前、「はやぶさ」に組み込まれていたカメラが、地球の姿を映し出していました。7年ぶりの故郷を一目見た後、役割を終えた「はやぶさ」は静かに消えていったのです。
しかし、本体から分離したカプセルが、オーストラリアのアボリジニの聖地とされる砂漠に落下、回収されました。もし、砂などのサンプルが採集されていれば、生命の起源の解明など、多くの貴重な成果が得られると期待されているそうです。たとえ採集されていなくても、7年間の宇宙の旅を続けさせ、ついに地球に帰還させるに至った日本の衛星技術は、世界に誇ることのできる偉大な功績です。JAXA(宇宙航空研究開発機構)関係者は、「はやぶさ2号」の開発を急ぎたいとしているそうです。この「はやぶさ」の劇的な帰還に、管総理はじめ政府高官が絶賛した、ということです。
が、ちょっと待ってください。昨年秋、民主党新政権は、行政の無駄をなくすといって、事業仕分けをマスコミに公開し、華々しくやってみせました。その事業仕分けにおいて、「スパコンで世界一になる必要はない」などと言い切って、科学技術関係の予算に大鉈を入れ、削減しました。実は、麻生内閣時代、10年度予算の概算要求に、「はやぶさ2号」開発費用約17億円を盛り込まれていたのですが、これも「事業仕分け」によって、3000万円にまで削られてしまっていました。これでは、「はやぶさ2号」の開発は不可能です。
私は、昨年秋の事業仕分けの後、私のホームページで、「小資源国日本の生きる道は科学技術振興しかない。安易に事業仕分けと称して科学技術予算を削るべきではない」と訴えました。日本のノーベル賞受賞者の方々からも、激しい批判の声が相次ぎました。科学技術研究とは未知の世界に挑むもの、たとえ失敗したとしてもそこで得られたデータを積み上げて、やがて成功にたどりつくもの。それを“無駄”だというのであれば学術研究は成り立ちません。しかし、民主政権は、科学技術予算の削減を断行したのです。「はやぶさ」の奇跡の帰還のあと、事業仕分けをした議員らは、手の平を返して「はやぶさ」の偉業をほめたたえ、釈明したそうです。
今回の「はやぶさ」の偉業は、日本人に感動を巻き起こした一方、政策なき、ビジョンなき、国民受けだけをねらうパフォーマンス政治の危うさを実感させる出来事でもありました。